ある一冊の本を読みました。
教育虐待・教育ネグレクト日本の教育システムと親が抱える問題
という本です。
「教育」と「虐待」、一見結びつきにくい関係のように思えます。
「虐待」というと、よく若い両親が幼い我が子に手をかけ、大きな怪我をさせたり死亡させてしまうなどの痛ましい事件が想像されますが、
本書では、「教育虐待・教育ネグレクト」を「子どもを直接的に教育指導する親や教師などから、子どもが受ける、一次的あるいは二次的な有害事象」としています。
そして、
「たとえ親や教師がが本人のためと考えていても、本人にとっては強い苦痛や心理的ストレスを伴っていたり、本当に必要な教育を受けられていない」状態もその概念に含まれるとしています。
わかりやすいのは「親による教育の押し付け」です。
問題なのは、こうした教育虐待は、心理的に影響を与え、受けた子ども達は著しく自尊感情が低下してしまう可能性が高いというのです。
本書ではたくさんのケーススタディが述べられています。
野球のセンスがあるからと、我が子を少年野球チームに入れ、時には学校行事も休ませて練習や試合に参加させる親。子ども自身も最初はやる気を見せていましたが、小学校の友人と過ごす時間が少なくなることで嫌気がさしてきましたが、周囲の期待もありなかなか止められず、チック症状が出てきた、というのです。
このケースなどは、本人の意思とは関係ないところで周りの親が決めてしまったため、言い出せず、子どもが自分の心の中でストレスを感じてしまっているケースです。
また本書では、教育熱心な親ほどしつけに厳しくしたり、早期教育を我が子に受けさせることが多いと思いますがそうした行動にも警鐘を鳴らしています。
我が子の意思ややる気を無視した先回りの行為は、知らぬ間に子どもの心を蝕んでいるかもしれません。
そして重要なのは、その影響を受けている子ども自身はなかなか自分で声を上げられない、ということなのです。
「できないのは自分が悪いから」と負の感情の自分の能力の方に向けてしまうことで、自尊感情がどんどん損なわれていく、というのです。
何とも残念な話ではないですか。
「我が子のために」と思って用意したことが、実はその子のやる気や自尊感情をどんどん失う要因になってしまっているとしたら。
そして、本書では「教育虐待に走りやすい家庭の特徴」として以下の項目を挙げています。
①両親ともに高学歴で社会的地位が高い
②親自身に経済的事情や家族の承諾が得られなかったために進学をあきらめた経験がある
③母親がやりがいのある仕事をやめて育児に専念せざるを得なくなった
④子どもの成績が優れないことを母親に責任転嫁する父親やその親族からの重圧がある
⑤母親が異常に教育熱心である一方で父親が無関心である
⑥父親(母親)の教育虐待行為に反論することのできない母親(父親)がいる
⑦親自身が自分の兄弟の間で成績の差にコンプレックスを持っている
私も幼少期、やりたくもないバイオリンをずっと習わされていた経験があります。
最初は、学校の授業で聴いたバイオリンの音色に惹かれ「バイオリンっていいね」くらいのことを言っていたようですが、
その発言をきっかけに、急に祖母がバイオリンを購入してくれたり、気付けばバイオリン教室を親と一緒にいくつか見学し、その中の1つに通いはじめました。
大して好きでもなかったので練習もせず、まったく上達しませんでした。
まったく上達しないものだから親には怒られた記憶しかありません。
楽しい思い出などほとんどありません。
自分のためではなく、途中から「親が行けというから」という親が理由で通っていた気がします。
あなたの熱い子どもへの想い、もしかしたら気付かないうちにお子さんは苦しんでいるかもしれません。
時には我が子はどんな気持ちで取り組んでいるか、何に本当は興味を持っているのか、
目を向けることも大事だと思います。
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