「わが子には頭が良くなってもらいたい」
多かれ少なかれ、このように思っているお父さんお母さんは多いのではないでしょうか?
この「頭がよくなる」ということ、具体的には一体どういうことだとイメージされているでしょうか?
■「ガンバの冒険」のガクシャ
話は変わりますが、「ガンバの冒険」というテレビアニメをご存じですか?
ネズミのガンバとその仲間たちが、子ネズミの忠太の願いを聞き入れ、忠太の故郷の島を支配するイタチのノロイを倒しに行くストーリー。
1979年の放送で名作アニメとして知られ何度も再放送。
昨年は絵柄も一新され、新たに映画が作成されました。
数多くいるガンバの仲間の中で、ガクシャ、というキャラクターがいます。
このガクシャ、どういうキャラクターかというと、
ヨイショの幼馴染み。物知りで頭が良く大きなメガネが特徴。短い尻尾がコンプレックスだが、「尻尾が短いのは進化の証」と強がっている。理論最優先の考え方のため、直情型のガンバとはたびたび衝突することもあった。(出典:ウィキペディア)
この説明でもある通り、ガクシャは「物知りだから」頭が良い、ということが描かれていました。
他のネズミたちが知らないことをたくさん知識があるから頭が良い。その知識量の豊富さからガクシャはメンバーの中でも特に「頭がよい」というキャラクター設定になっていたのです。
■知りたい知識は3分で探せるのが今の時代
ところが現代社会では、この考え方が少し変わりつつあるように思もいます。
なぜならば、みんなわからないことはすぐにネットで検索してしまうから。
動物の名前や歴史上の人物の生い立ちなど、検索窓に入れてしまえば瞬時に結果が出てくる。
例え自分が知らなくても、すぐに「調べられる」時代。
誰でも簡単にたくさんの知識に触れられ、誰もがすぐに「物知り」になれる時代になったのです。
そうなると、「物知り」であることで優位性を保っていたガクシャの「頭の良さ」が現代では相当危うくなります。
そう、現代は知識量では個人差がなくなりつつある時代なのです。
■現代で問われているのは「知識の量」ではなく「知識を使う」知恵の力
では現代で求められる「頭のよさ」とは何でしょう?
それは「知識を使う知恵」をどれだけ持っているか、ということでしょう。
これからの時代はまずます混沌(カオス)の時代。
いままで常識と思われていた価値観がどんどん崩れ、もはや何が正解なのかがわからない、いや、むしろ誰もが共通の「正解」などはもはや存在しない、という時代になってきています。
そこで求められるが、なるべく多くの人が関与できる「納得解」をひねり出すこと。
様々な知識や、人々との対話を通して、なるべく多くの人が納得する答えを導き出す、ということ。
そこに求められているのは、そうした答えを導き出せる「知恵」です。
「知識」は人間でいえば基礎体力。
ここがスカスカで何もなければ、導き出せる答えも大したものは出来ません。
あくまでも「知識」は全てのベースでしかないのです。
■知恵は「経験」や「対話」の中で徐々に育まれていく
知恵は大人になればなるほど経験則がモノを言って、磨かれていくもの。
しかし、子どもには「経験」が圧倒的に足りません。
その代り「親子や友だちとの対話」があります。
子ども同士の遊びは最強です。遊んでいる間柄でも時に感情的にぶつかって喧嘩してしまうことがあります。でもその「怒る」という感情がなぜ起こったのか、相手はなぜ泣いているのか。
こうした場を経験し、考えることで子どもたちは気付き、体得することがあるはずです。
これが「知恵」なのです。
これからの時代、求められるのは「知恵をうまくつかう」能力。
親子の対話や、子ども同士の外遊びの中から、子ども達のこうした潜在的な力を引き延ばしてあげたいものです。
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